<レッスン効果・体験>
歯の間にはさんで読んだあとの声
その前に読んでいた声より、喋りやすく
録った音をきいてもその前より響いているようだし聞きやすい
かかとに乗ることを日々意識しています。足先が上に反らないこと、これを意識すると不思議なことに背中が反りすぎずに、以前教わった背中の適度な丸みが出る。体は連動しているんだと思いました。
新しい体の使い方に慣れないうちは不安になりますが、新しい体の働きに変わりつつあることを前向きに捉えられるようになりました。
形を決めずに自然に口を開くことで、滑舌、特にラ行の発音の改善に大きく役立ちました。
前回を踏まえ、場面ごとの変化が出るように自分なりの工夫をしました。ある程度の成果はあったと思いますが、まだ不足している部分もあるので次回までに更に作りこんでいけるよう、構成を練りたいと思います。
レッスン前半で私の目標や考え方を共有できたので、漠然とした恐れが少し解消できた。今までとは違った視点での声だしを経験できた。
やはり上半身に余計な力が入っていることが再認識されました。
顎を動かすのをイメージしただけで顎の力が抜けやすくなり、声が楽に出た。
少しだけ呼吸の仕方が分かった
子音に邪魔されずに母音が出せるようになった。
声がよりはっきりとした風に聞こえました。
口の開きかた、音の入り口の大きさや形で聞こえ方が変わるんですね。
お腹はそのままの意識を深めると、息が安定するのがわかった。
口の形を同じにすると高い音も楽に出ることがよく分かり、口の形に気をつける意識が高くなった。
片足を上げることで、体幹に意識がいくようになりました。
余計な力みが、楽な発声を邪魔していることがわかりました。
力を入れないこと、力を入れる、入れないを自分でコントロールすることがなかなかまだできない。少し感覚はわかってきたので反復して練習してみようと思う。
喉で歌わず(喉から声を出さず?)、鼻の付け根や眉間あたりから声が出るイメージや感覚が、少しつかめるようになったこと。喉で頑張らない声の出し方が少し分かってきたこと。
あまり得意ではないと思っていた高音が、スッと出せたこと。
以前より弱拍の手拍子が軽く打てるようになったと感じます。八分の六拍子がつっかからずに歌えるようになりました。手拍子も以前より軽く打てると思います。また、裏拍から入る八分音符が、手拍子の力を借りて一緒に入れると気持ちが高ぶります。今まで、邪魔だった手拍子の助けをいつもうまく借りられたら、もっと楽しいことでしょう。
体がほぐれていると、良い発声が出来る
舌根の力が徐々に抜けてきた
歌う時の自分の癖が改善されてきた
自主練習が、なかなか出来ないですが、ここに来て歌うだけでも、進歩がある気がします。
抽象的な表現になるが、「限界を感じる・苦しそうな発声」から「どこまでも出る・伸びやかな発声」にシフトできた。
1度と3度の音の口の中の開き方みたいなものの差が少なくなったように思います。
以前は、1度と3度の音で、声質が変わっていました。
少しずつ、いい準備をしてから発声できている!?
最近、特に自分の中での新しい発見に気づくことが多くなりました。レッスンで学んだことを普段のトレーニングに活かしていきます。
2回目のレッスンでは私が出したかった声が出てとても嬉しく思いました。常にこの声が出てヴォーカルに使えれば・・・もっと思うように歌が歌えると思います。
<音信>
僕が人前で歌い始めたのは27歳の時で、それまでサラリーマンをしながらクラブDJをしたりして、音楽で生計を立てるチャンスを模索していましたが、さらに自分の全てを音楽に賭けてみたいと考えた結果、歌の世界を選ぶことにしました。研究所に入会したのも同時期です。
音楽で遊びまくってきた挙句の27歳でしたから、ただ歌が「うまく」なってもどうしようもない世界だということは体で良く分かっていましたし、自己流で・・、と思い込めるほど若くもありませんでした。
そういう中でいくつかの体験レッスンを受けてみつつ、何かないかとネットで探しているうちに、研究所のホームページに行き着きました。
日本全国のスクールどころか、数校の体験レッスンしか受けたことのない自分でしたが、研究所が、日本に1つあるかないかのハイレベルな場所だということは、すぐに分かりました。(今更ヨイショしてるわけでもないのですが・・)
もちろんハイレベルと言っても、入会したらみんなが「うまく」なるというようなことではなく、研究所が提示している内容が相当高度なものだということです。
入会から7年を経た今でも、その思いは特に変わっていません。歌や音楽の、あるいは人生の本質的なところに深く踏み込んだ上で、歌(表現)のレッスンを行っている場所は無いだろう、いやむしろ、あるはずが無いと思っています。
例えば、会報に安岡正篤氏の名前が出てくるような場所は、経営のスクールみたいな所を含めたとしても、そうそう今の日本には無いのではないでしょうか。
それは、僕が研究所の熱心な信者だということではなくて、そもそも音楽と、物事の本質を同時に見せるというのは、日本においては非常にリスキーで難しいことだと思うからです。ミュージシャンは純粋で、無知で、夢見がちな、”子供”であってほしいというのが日本ですから、世の中の不条理、世の中の現実、それらを踏まえたうえで表現に取り組むというスタンスは、需要と供給のバランスにおいて成立しにくいのです。
では、そういった、ある意味貴重で特殊な場所に7年近く毎週通って得た、最も大きな収穫はなんだったのだろうかと振り返ると、一つは、やはり一流の歌、そして音声表現の深さ、素晴らしさをそれまで以上に味わうことが出来たことだろうと思います。
日本人なら、中華であれフレンチであれ、一口食べればその料理人のレベルが大体分かるように、ファドであれロックであれ、落語であれ、そのアーティストのレベルが大体分かるところまで自分の耳と感性を、育てる機会を得ることができました。
といっても、ただ通っていただけではなく、特に入所して最初の2年ぐらいは、出来る限り毎日リハーサルスタジオに入って、名のあるアーティストの歌を片っ端から大音量で聴きました。渋谷ツタヤの半額セールを狙って、毎月100枚以上アルバムを借り、ツタヤに無いものはアマゾンで買い、落語も含め、全ジャンル一通り聴き終えた後は、ピアフやサラヴォーンにパバロッティ、アマリアやひばりさんなどとりわけ優れていると感じたものを、ひたすら繰り返し聴いていました。
集中力が持たず、聴きながら眠ってしまうことも多々ありましたが、その時期、僕の感覚が、周期的に生まれ変わったことをよく憶えています。古びたモノクロの写真が、突然カラーに変わり、動き出すかのように、その歌の生命力、躍動が、目に見え始める・・・・。そんな体験は、研究所に通っていなかったらできなかっただろうと思います。幸か不幸か、一生分ぐらい一流の歌を聴き、一生分ぐらい感動してしまったが故に、今となっては、街で流れてくる音楽に心を奪われることなど無くなってしまいましたが・・
そしてもう一つは、音楽という、盲目になりがちな分野に関わりつつも、現状について考え、世の中を、自らを疑い続ける機会を与えて頂いたことです。
僕は今、住む場所を海外に変え、とある企業で働いています。英語もカタコトの状態で飛び込んだので、日々、目が回るような思いですが、僕なりに、夢を見ていた子供から、一人の人間としての自立に向かって、着実に歩むことが出来ていると思います。
音楽という手段の向こうに描いていた目的について、ギリギリの場所とタイミングで見極められたのは、研究所へ毎週通い、毎月会報を読むという生活が大きく影響していると思います。
また入会当時は、研究所の出口はプロのアーティストになることだと思っていましたが、今となっては、自分の選んだ道も、研究所らしい一つの出口だったのかも知れないと勝手に思ったりしています。
長い間、本当にお世話になりました。7年間、色々と勉強させて頂きました。
海外で通用しなかったから、という理由で日本に帰るつもりはありませんので、次に日本に帰るのは随分先のことになるかも知れませんが、またいつか、お伺いできたらと思っております。